むすんでひらいて、

その手を知念くんに

呪われたから生きられた

*過去にモラハラにあったことについて書いてます。読んでいて気分を害しそうな場合はそっとページを閉じてください。

 

 

Hey!Say!JUMPが札幌ドームで行われた「SAPPARO MUSIC EXPERIENCE2024」に出演した。どうしても都合がつかず泣く泣く諦めた私は、公演後にXレポを読んで楽しさのお裾分けをしてもらっていた。

その中で大好きな知念くんがゴールデンボンバーさんの「首が痛い」の振りを真似していたとのポストを見た時は、なにそれ絶対可愛い!私も見たい!!と高まった気持ちと見られなかった現実に胸が痛くなった。

 

 

 

北海道いきたかったな

いつかゴールデンボンバーのライブを見てみたいな〜と思っていたのでJUMPとゴールデンボンバーを両方見られる!俺得!フェスだった。行けなくて悔しかった。

「抱きしめてシュヴァルツ」とか「酔わせてモヒート」とか「ガガガガガガガ」とか好きで時々聴いている。この際想像でもいいから頭の中で知念くんに踊ってもらおうと「首が痛い」MVをYou Tubeで見ていたらオススメにある曲が出てきた。それが「101回目の呪い」。

先ほど好きな曲をいくつか挙げたけれど、実は一番聴いたのは「101回目の呪い」だった。

自分でもびっくりするくらいに忘れていた。忘れていたことにもびっくりした。

 

職場でのモラハラ

数年前、転職した早々に職場の同僚からモラハラを受けた私はシンプルに病んだ。

とにかく全てを否定された。

「適切な判断ができていない。」「そんなことではここは務まらない。」「あなたの能力でこのポジションに就くのは分不相応。」「みんなあなたのことをできない人だと思っている。」「今後の身の振り方を考えた方がよいのではとみんな思っている。言わないだけ。」

毎日言われた。

今でこそ子どもから「クラスのみんな持ってるよ〜」と言われても「みんなって?誰がいるの?」とテンプレ返答をする母になったけれど。そもそも職場、労働者がとても多いので全職員を把握できる人は事務職の方くらい。

でも怖いことに、めちゃくちゃなことも毎日言われ続けると不思議とそれが本当のことに思えてしまった。「みんな」と言われたら「みんな」だった。相手の言葉が全て。何をするにも決められず自信がなく、そしてその言動を更に指摘され責められる。無理ゲー負のループへ。

今思えば、相手も良くないことをしている自覚はあったと思う。私が他部署の人と接することも制限され、何か話していたら何をしていたのか逐一報告を求められた。そんな極狭な世界で私は私が嫌いになった。

 

 

終わらせたかった

自分の意思に反して涙が出るようになった。線路とか道路とか川をずっと眺めていた。そのうちにある思考に固執するようなり、楽になりたいな。と考えるようになった。こんな何の役にも立たない自分はいてもいなくても変わらない。そればかり考えていた。

そんな時に「101回目の呪い」に出会った。

歌詞の「降り注ぐその痛み身代われ」に救われた。当時は自責思考バリバリのアンタッチャブル認知だったので「そんな痛みなんか消してあげるよ」とか歌われたら「このくらいで痛いとか言ってたらダメなんだ。他の人は消せるくらいの痛みなのに私には消せない。自分の痛みも消せない私はやっぱりダメなんだ。ごめんなさい」と更に苦しくなっていたと思う。

私が感じる痛みは「痛み」として扱ってくれたこと、そして身代わるよと歌ってくれる存在に泣いた。「生きようよ!」の言葉が呪いになることもこの人は分かって歌っているのだろうなとぼんやりした頭で思った。そして居心地がよかった。

 

呪いには呪いを

歌詞の最後は「生きろよと何度でも言ってやる。この呪い君を救え」。その呪いを全身に浴びようと、私は起床した時も職場の行き帰りの道でも就寝前もとにかく聴いた。そればかり聴いた。あの時期はそれしか聴いてなかったように思う。

相変わらずモラハラされまくっていたけれど、いつの間にかおかしなことは考えなくなった。生きようと思った。

同僚からの呪いに呪いで返そうとしていたのか。目には目をってハンムラビ法典でもいってるし。貞子と伽倻子もぶつけられていたし。だから呪いには呪いをぶつけて良かったのだと思う。

 

ゴールデンボンバーと私の勝利

きっかけは偶然で突然だった。たまたま他部署の人と話をしていて話の行き違いが判明した。その原因はもちろんパワハラ同僚。

同僚のやっていた事が客観的にみても問題ありと次々に判明したため、私と同僚は離された。長年苦しんでいたことはなんだったのだろうとびっくりするくらいあっけなく終わった。

敵ばかりだと思っていた職場で今も働いている。「みんな」は「みんな」ではなかった。試行錯誤しながら労働し産休・育休もとり職場の人と仕事のことや日常の話をしたり。もう廊下を怯えながら歩くこともない。「消えますねごめんなさい」と泣いていた私は理不尽さには「消されたいの!?」と反抗できるようになった。もう少し中道をいこう。一休さんを見習おう。

 

MVと自分をかさねる

慌ただしいけどそれなりに日常を送っている。そして大好きなJUMPを応援したりと好きなこともしている。そんな日々が今、手元にあるのは「101回目の呪い」のおかげでもあるのに私は忘れていた。鶴や亀だって恩返しするのに。私ときたら「浦島さんだよね?なかなか良いフィッシングするよね〜前から良いと思ってたんだよね〜」と話しかけるノロい亀じゃないか。

 

改めてMVを見ていたら主人公と自分が重なっていたように見えたことにも驚いた。

https://youtu.be/RCzWp04foj8?si=HcktKw2HNft6ShJa

 

苦しい日々の中、お守りのようにスマホで動画を見続けていた主人公。そんな彼女にある日、現実世界で手を差し伸べてくれる存在が現れる。そのタイミングでスマホは主人公の手から滑り落ちていくがそのことに主人公は気にも止めずに手を差し伸べてくれた人達と歩いていく。そんな主人公に見覚えがあった。

粉々になったスマホは役目を果たしたお守りのように見えた。

 

「自分を変えてくれた曲」とか「大切な曲」で「101回目の呪い」がすぐに思い浮かんでこなかった自分はなんて薄情なんだと思ったけど、そのくらい思い出したくない記憶でもあった。今使っているスマホにも「101回目の呪い」は入っていた。これも忘れていた。自分で購入した曲のくせに自分で驚いて「ひぃっ」と声が出た。

おかげさまでここ数年はその呪いを自分にかけなくても大丈夫な生活を送れている。

 

ゴールデンボンバーの曲、どういうこと!?と度肝を抜かれる歌詞も、切なく哀愁が漂う歌詞も好きです。言葉の選択や並びが綺麗で気にいると延々と聴いてしまいます。

そして私は耳が悪いのでパフォーマンスを通して視覚的に音楽を楽しめるようにと思ってくれるアーティストがいるんだと思うと手を合わせたい気持ちです。

めちゃくちゃだけどシュールだけど寄り添ってくれる感じがする。

 

最後に

「生きていればいいことあるよ」とか「絶対に夜はあけるよ」なんて無責任なことは言えないけれど。でも、この呪いなら呪われるのも悪くないと思う。

ありがとう、ゴールデンボンバー